covid19禍に襲われた2020年。まだ収束の道筋さえ見えていません。このような不安定な時期こそ、「政府」「政策」の役割は大きく、国民を安心させ、その生活や健康や未来を守るための特別な姿勢とメッセージが必要になって来ます。

医療を充実させcovid19禍に対応させる為にこそ、車輪の両軸の経済施策は重要な意味を持ちます。

未曾有の広がりを見せるcovid19禍、しかし日本はその前から「失われた30年」として、経済や社会の低迷に苦しんできました。世界の中でも、際立った低成長の歳月です。その上で昨年10月にとうとう消費税10%が導入され、毎度のことですが、増税による景気の急激な失速が起きていた最中にcovid19禍、オリンピックは開催できるのか、いつなのか、正直なところ、わからない状況です。

様々でかつ深刻な不都合が四方から襲いかかっています。これに対しわが国ではこれまで「小さすぎる政府」(一般的には小さい政府ですが、もはやその域を超えたところまで来てしまったので、本WEBのT.D.T.では小さすぎる政府と呼ぶことにします)「高負担ー低保障」「自己責任」と、あくまで個人の責任とされ、根本的な対応、解決がなされて来ませんでした。

更に生真面目な日本人は、本来の新自由主義であれば「低負担ー低保障」であるはずが、負担は世界的にトップクラスの重い負担で、保障は最も低いという過酷なものです。この状況そのものが、日本に「失われた30年」をもたらしてしまったと言えます。

それはイギリスのサッチャー政権誕生に始まる、新自由主義に源があります。その後、アメリカのレーガン大統領、日本の中曽根首相(当時)へと伝播し、わが国でも隅々まで新自由主義の精神は蔓延して来ました。国家が築いて来たインフラを民間に安く売り、一部の金融や不動産市場は潤った時期もありましたが、長い低迷が続き、もう今の日本国民から、しぼり取れるものもありません。その状況で突入した2020年…。

新自由主義国の代表であったイギリス、ドイツが、covid19禍の対策として大型の給付金と消費税減税を素早く決定し、大きく舵を切り、脱新自由主義に向かいました。
そもそも、1%の富裕層と99%の困窮層という(ノーベル経済学者スティグリッツが指摘した)現代社会の実情に対し、アメリカでは「Occupy Wall Street」(オキュパイ・ウォール・ストリート)として、フランスでは「Mouvement des Gilets jaunes」(黄色いベスト運動)として、国民的なデモンストレーションやストライキが多数発生、そのほかの国々でも過剰なグローバリズムに対する反発の運動や暴動が、度々発生するようになっていました。

世界は、新自由主義ではもう生命、生活、未来を守れなくなった、と考える人々が増えていきました。

ですが、日本では未だ個人の問題としてやり過ごそうとしているように見えます。果たして可能でしょうか?

T.D.T.では、世界のこうした動きに呼応し、日本に於いても脱新自由主義が必要であり、国民に対しての給付や減税を始め、その暮らしや未来に不安を抱かないで済むメッセージを送る必要が、政府にはあると考えています。


まず日本国民はどれだけ、税や社会保障費を納めて来たか。
ー世界トップです。

では日本国民にはどれだけ、社会保障でその生命や生活や未来を守られているか。
ー世界最底辺です。


これは構造的に社会デザインが誤っていることを示しており、到底個人の力で解決できる状況にないことを示しています。

まずこの事実を正しく認識することから始める必要があるでしょう。この状況で、covid19禍を乗り越え、安定した社会、希望ある成長を生み出すのは極めて困難と言わざるを得ません。




これに加え、昨年増税された消費税に関しても、その意味を問い直す必要があります。まさに社会保障費を補うものとして、まるで目的税であるかのように、増税の導入前や選挙の前では語られて来ました。
しかし、社会保障に充てられているのは、消費税のうちたった2割にすぎません。

今や税収に於いては、所得税、法人税などと比べ、とうとう最も主要な割合が消費税となりました。あまねくすべての人々がこの国の安心を支えるために、と消費税は導入されました。
そして直間税率は激変し、富裕層にとって暮らしやすくなりましたが、国民多勢の収入の中央値は大きく下がり続けています。

これは正しいことなのでしょうか?

日本は、貧しくなったのです。

世界の成長に、追いついていけず、急激に日本という国は貧困国になって来ています。

それでもまだ、消費税増税をすべきだという声が、政権に近い人々や、財務省、IMFなどから聞こえて来ます。

消費税を上げるたびに、消費は当然冷えていきます。
負担ばかりが高くなり、保障は増えるどころか削られています。

この国の未来に希望が持てるでしょうか?

実際、消費税を増税するたびに、政府の税収は下がってしまっているのです。
国民の負担は大きくなり続け、保障は減り続ける。

決してこれは世界のスタンダードではありません。

「財政規律 < 国民の生命」は、自明のことです。

covid19禍のような国家国民の危機にこそ、財政規律ではなくて財政出動が必要だ、ということは珍しい事ではなく、ケインズが、宇沢弘文が、スティグリッツが訴えて来ている事です。私たちに今必要なのは、財政規律ではなく、宇沢が訴えた「社会的共通資本」、その哲学を組み込んだ国連のSDGs、持続可能な社会、です。金融や土地の値段の上下で賭けている余裕はもうないのですから。



そして財源論から支出論へ。日本の国家としての経済的なバックボーンは非常に厚いので、財源論に関しては悩む必要はありません。長期的な国債の発行や借り換えという一般的な手法で、日本もこれまで戦後の復興などにも同じように財政を出動し、焼け野原からの復興をしました。

もう一度、私たちは周囲を見回し、立て直す必要のある、社会の歪みを正さなくてはなりません。
この支出論に、哲学があり政策があれば、急なcovid19禍でも、国家がすべきことは明白です。自粛でも、マスク配布でも、自粛中の旅行でもありません。

私たちは、日本を代表する経済学者であった宇沢弘文の「社会的共通資本」を哲学としてもち、更にSDGsのテーマを世界と共有しながら、1%の人のためにではなく、誰にとっても希望のある社会を目指す必要があるのではないでしょうか?

その一歩を歩むための、現状認識としての資料、および、いくつかの提言を
<T.D.T. レポート02>としてまとめました。

下記よりダウンロードが出来ます。図表を多く用い、わかりやすく現状と未来について整理をしました。是非ご覧ください。そして更なるディスカッションや、希望ある未来を築く契機に出来ればと思います。

https://app.box.com/v/20200805-tdt-report02https://app.box.com/s/g0pvjdpwc40nwbga9jxgaoi35a4tndrf

舵を切って、希望ある社会を作ろう

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